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失敗から得たもの 

みなさん、こんばんは。

ご報告ですが、数日前から始まったラブルの件、
現実レベルで本日無事に解決しました^^
まさかこんなに円満に解決するとは…と思うほど☆
これはまさに、クリーニング効果だったと思います。
とは言いつつも、ここ数日はずっと集中してクリーニングしていたので
正直けっこうしんどかったです。

トラブル当日の夜、忘年会から帰宅した旦那さんから、
「どうしたの?!暗過ぎるんだけど・・・」と、引かれたほど。笑
でも色んな学びがあったので、今は「ありがとう」の気持ちでいっぱいで、
今日はとても晴れやかな気分なのです。

失敗しないと分からないことって、誰にでもあると思うんですね。
頭では、理屈ではこうした方が良いと分かっていても、
そうは出来ないのが人間です。
なぜならば、記憶に左右されてしまうからですよね。
記憶を消していけば、インスピレーションのままに生きていけるというのが、
ホ・オポノポノです。

記憶が多いうちには、色々なことがうまくいかないかもしれません。
でも、ちゃんとクリーニングを続けていけば、
常に常に続けていけば、いろんなことが分かってきます。
成長を遂げることが出来ます。
失敗も減るかもしれません。
…とはいっても私、失敗から学ぶ魅力も大好き。
失敗することって、すごく貴いと感じるからです。

そもそも私たちが下している「判断」って、何でしょうか?
良いとか、悪いとか。
私たちの基準は、いつも絶対でしょうか?
違いますよね。

ですから、日々起こる辛い事、悲しい事、など、
一見ネガティブな表現型のことが起きてもうろたえないことです。
その裏に、ものすごいギフトがセットになっているからです。
どんなことも私への課題であり、ギフトなのです。
 
すべてを受け入れていく。
そして、消していく。
消すというと、何だかものさみしい感じもするので、

 「荷物を降ろして本来の姿(愛)へと還ってゆく

というのはどうでしょうか?
 

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(遂に、奇跡の学習コースの日本語版が出版されたそうですね。
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今回失敗はしたけれど、でもそこから学べて本当に良かったです。
たくさん学び得ることが出来ました。
これからも、クリーニングに励んでいきたいと思います。

自分に還ってくる 

みなさん、こんばんは☆
今夜は皆既月食だそうですね、あいにく東京は曇り空ですが、
雲の向こうのお月さまには、確実に月食が起こっているんですね。
私たちが、日々どんなに悲しみや苦しみにかられていても、
自分ではまったく感じることが出来なくても、
誰の心の真ん中にも神性なる神の分身が宿っているように…。

さて、昨日の記事にノアさんから頂いたコメントを読んでいて、
ああほんとだな~と改めて感じたことがありました。
ノアさん、コメントありがとうございました。

ホ・オポノポノのDVDの中で時折、ヒュー・レン博士が
「今私がそれをクリーニングしなければ、
あなたの3代先に精神遅滞の子供が生まれるところだった」とか、
「あなたが今それをクリーニングしたことで、
 アフリカのある女性がとても楽なお産が出来た」
というような、いわゆる根拠がないホンマかいな?的な発言をすることがあって、
ちょっと信じがたいように思っていたんですね。

だけど、クリーニングの結果っていつ出るか分からないのです。
と同時に、クリーニングしていなかった結果も、いつ出るか分からない。
目に見えて関連した形となって出現することはもちろんあると思いますが、
先日の人生の3つの「坂」の話のように、人生に突如として(のように見える)
現れることが多々あると思うのです。

そういう意味では、ものすごく厳密にこの世の中は成り立っています。
何のごまかしもきかない世界です。
素晴らしいけど、ちょっと恐ろしい気もしますよね。
逃げたつもり、ごまかしたつもりでいても、
すべて自分に還ってくるんですから…。

私たちが「偶然」と呼ぶ出来事は全て偶然ではなくて必然の集まりで、
凡人には関係性ははっきり見えないけれど、すべて繋がっている。
そういうことなんだと思いました。
でもそれは、裏を返せば自分次第。
自分次第で「わたしの世界」は変わるということです。
わくわくもします。

昨日のトラブルからずっと私はクリーニングを続けているのですが、
100%の責任の位置に立ってクリーニングを頑張ってみると、
ものすごく反省するし、発見があって、学びがあるんですよ。
私に起きた「まさか」は、まさかのようでいて全然まさかではなく、
自分自身が引き起こしたことだったと、はっきり分かるのです。

こうして考えてみると、日々平和に過ごすことは大好きですが、
トラブルや失敗や悲しみや苦しみや悩みの中には、
とても多くのレッスンが含有されていることに気付かされます。
実際、私自身がしんどいことがあってクリーニングするために書いた記事の方が
記事として良いものになっているし、読んで下さっている方へ
メッセージも強く伝わっているんじゃないかと感じているんです。

いかがでしょうか、みなさん。
真剣にクリーニングしているというのもあると思いますが、
ネガティブの中にこそ宝物がある証拠だと感じています。

だから、良いことも悪いこともすべてジャッジせず、
受け入れてしっかり味わいクリーニングして修正して行動する。
この繰り返し。
そして、面倒くさがらない(!)
すべて自分に還ってきますから、自分のためにやっているだけ。
ある意味シンプルです。

世の中は、本当に精巧な構造になっているんだと感じた
皆既月食の夕方でした。

「面倒くさい」を手放そう 

みなさん、こんばんは。

今日ちょっとしたトラブルがあって、集中してクリーニングしていたら、
色々と気付きがあったので、自分が忘れないように、
そして読者のみなさんにもお役に立てばと思い、ご報告しますね。

ホ・オポノポノでクリーニングしていくにあたって、
(というか、生きていくにあたって)
「面倒くさい」という概念は、手放さなくてはいけないと思うんです。
ホ・オポノポノとは、「100%私の責任」ということ。
色々な問題が起きた時に、100%自分の責任として引き受けることは、
そもそもとーっても面倒くさいことです。
しかも、世の中のことすべて100%の責任を負うというのは、
面倒くさいんです…、本当に。笑

でも、これが、クリーニングなんですね。
面倒くさい、小さな問題や課題をひとつひとつ消していく。
常に常に消していく。
これが生きていくということであり、クリーニングの真髄なのかもしれません。
小さな積み重ねが、ある時に大きく飛躍することに繋がったり、
恵みや恩恵を受け取ることに繋がるのかなと思います。

私自身、「面倒くさいを手放すんだ」と日々クリーニング生活をしていましたが、
今日起きたちょっとしたトラブルは、そもそも「面倒くさい気持ち」が
出発点になっていたことに気付かされました。
・・・反省です。

急がば回れ」とは、本当に真理だなあと思います。

クリーニングは、ある意味 本当にめんどうくさい!
でもそれをやった時の恩恵は、本当に大きいのです^^

みなさんも「めんどくさいなあ~」と感じたとき、
大きなクリーニングの機会になると思って、
臨んでみて下さいね!

・・・ありがとうございます。

大切な場所 

みなさん、こんにちは^^

私は最近、ある大切な場所に行きました。
何と、私がその場所に行くのは二年ぶりでした。

2年間も私は、その場所に行きたいけれど行くことが出来なかったのです。
ホ・オポノポノと出会ってからの日々は、ずっとクリーニングを続けていたにも関わらず、
ずっと行きたかったにも関わらず、2年もかかってしまったのです。

私は、

 ★ とにかく諦めず、チャンスを狙っていた
 ★ 自分のなかの、心の声に従った
 ★ 純粋に、私はまた行くべきだと思った

のです。
2年の日々の中では、もう行くことはないんじゃないか、
行けないんじゃないかと思うことも、数えきれないくらいたくさんありました。
色々な気持ちをひたすらクリーニングしながら、
日々の生活を送っていたんですね。
その間に、結婚という生活の大きな変化もありました。

でも私は、自分の本心に素直になろうと思いました。
ホ・オポノポノを続けていたら、本当の自分になれる。
本当の自分の望みも分かるでしょうし、行くべき道も自ずと見えてくる。
その、やってきた流れに身を投じることが出来ました。

いまは、そんな自分にとても満足しているし、
自分をほめてあげたいです。

これからまた、私の次のステージが始まる気がしています。

努力とクリーニング 

みなさん、こんにちは。
昨日は 「努力」 の話題でした。
この努力とは、私のとても個人的な内容でした。
私はその分野においては、お恥ずかしながら、
ホ・オポノポノを知る以前から、努力が足りない人間だった訳ですね。
このことは、今後も私の大きな課題です。

でも、クリーニングをするようになってからは、
他の部分では随分努力出来る自分になれたなぁとも感じたんです。
自分のごくプライベートな個人的な事にはまだ手がついていないにしろ、
仕事の場面においては努力出来る部分が増えました。
(もちろん、まだまだ全然未熟者ですが…。)

たとえば、先日ある患者さんとの面談のなかで、
病状によるものですが、怒鳴られ罵声を浴び、
あやうく殴られるかもと思う場面があったのですが、
ドキドキが続くその日の帰りの電車と、家に帰ってからも切り替えられなかったので、
「私の中の何が原因だろう?」と真剣にクリーニングしたんですね。
ドキドキしたので、その日はバッチフラワーのレスキューと
スターオブベツレヘムなどを飲みました。

・・・そうやってクリーニングしていたら、
患者さんがそうならざるを得なかった理由を、徐々に理解出来るようになってきました。
冷静に考えていくと、自分の至らなさ(面談時間を気にして焦っていた、
相手にプレッシャーをかけすぎる状況だった、など) の要因も良くわかってきたんですね。
この作業は正直しんどかったですが、その後は思いのほか悶々と引きずることなく、
次の日に適切な対応が出来たと、自分では思っています。

私は、自分でいうのもおかしな話なんですが、
精神科医として、相手の闇をも自分のものとして引き受けクリーニングすることは、
今さらながら実はすごい努力なんじゃないかと思っています。
こうやって、不器用ながらも出来る範囲でもクリーニングを続けていくことは、
努力の習慣を作りますし、自分を向上させることに繋がっていると思うのです。

人は、社会において立場が上になったり視野が広がれば広がるほど、
問題もたくさん抱えていきますよね。
どこまで行っても、『いいとこ取り』って出来ないんだなぁ、と思います。
たとえば、私たちが羨む立場の人達も、きっと羨まれるのと同じくらいの問題を
抱えているんですよね、きっと。
(最近の菅総理大臣や、市川海老蔵さんを見ていても思います。)

でも同時に、その問題に対処し解決したり、達成感を感じていくことが、
生きるという事だし、人間の器を広げていくことに繋がるのかなと思いました。
それは、愛にもつながるのではないでしょうか。

ありがとうございます。

努力 

みなさん、こんばんは☆
あっという間にもう12月ですね。

今日は、記憶というよりも私自身に足りないことについて
お話したいなあと思います。
それは・・・「努力」。
私実は、努力が苦手なんです。

こんなこと書くと、「医者なのに努力しないなんてけしからん!」
と怒られてしまいそうですが、最近どうしても
この「努力不足」の自分を感じる機会が多くて、
その想いをクリーニングしたいと思い、記事を書きますね。

努力しないことの裏にある、記憶とは・・・。
“怠惰”ということでしょうか。
「私なんて」って、誰でも多少は抱いている感覚かもしれませんが、
努力をしないにも関わらず自己卑下をする事は、
すごく違うなあと最近気付くようになりました。

私自身、具体的な内容は恥ずかしいのでこの場では控えますが、
ある分野において圧倒的に努力不足で、
努力をしていないにも関わらず、その分野をストレスに感じて、
「どうせ私なんて」と感じてしまうのです。
この姿は、嫌だなあ、苦手だなあと思う事に目をそむけて、
“本当の自分”を見ようとしていないことだなんだと思います。
つまり、自己受容が出来ていないということですね。

努力しない自分を棚に上げて、「出来ない、分からない」
と弱者でいることはとても寂しいことだと感じます。
少しずつでも、もっと努力出来る自分でありたいと願います。
焦らず、でも確実に、少しずつ…^^♪

みなさんの苦手なことは、何ですか?
ご一緒に、努力を重ねて克服していきませんか?

今日も、ありがとうございます。

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