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人を見下すということ 

最近、自分のメモリーの中で「他人を見下す」ということを
とても強く感じる場面がありました。
今日はこの事について、考えてみようと思います。
これは一見、見たくないやりたくない作業のようなんですが、
最近のブログでお伝えしている、ネガティブな要素こそちゃんと愛そう、
というコンセプトの下、ちゃんと直視してクリーニングすることで、
より光が強まるということを理解したうえで、やります^^

さて、このブログでも何回もお話していますが、私はホ・オポノポノに出会う前、
とても混沌とした状態で、体調もすこぶる悪く、仕事に対しても
どうやって患者さんと向き合っていけば良いのか全く分からないという、
迷路の中にいました。
医者であるということに対して高慢ちきで、プライドも高く、
だからと言って、自分がどれだけの事をやれるんだ、やってきたんだというと、
お粗末な事しか積み重ねて来れていませんでした。

世間一般からしてみれば、医者になったということは
それなりの努力をしてきたかもしれませんが、
そのことで“お山の大将”になったような気持ちでいたんですね。
我ながら一言でいうと「性格が悪い」という感じでした…イタタタ…。

ただ、それなりに上手く取り繕えていましたし、
根本からの悪人ではないとは思うので、社会生活はそれなりに出来ていました。
友人や同僚や上司から見たら、それなりに「良い人」「良い先生」
だったかもしれません。
この未熟さの根源のひとつに「他人を見下すというプライドの高さ」があったんですね。
またその裏側には対となって、「根強い自己卑下」も存在していました。

(プライドと自己卑下の関係性に関しては、「ネガティブを愛する生き方」の
 伊藤美海先生の、3冊目の著書に詳しく解説が載っています。
 まだブログの記事としてはきちんとご紹介出来ていませんが、
 ご興味のある方はぜひご覧下さいね!
 「ネガティブを愛する生き方」→「人格統合vol1」→「人格統合vol2」
 の順で読むことをお薦めします。)

 

人格統合 VOL.2人格統合 VOL.2
(2010/06/10)
伊藤 美海

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クリーニング生活を始めてからは、人を見下す感性については
存在すら感じなくなっていて、本当に生まれ変われたと思って過ごしていました。
しかしこの世の中の誰かの中に「人を見下す」という概念が存在している以上、
集合意識で繋がっている私の潜在意識の中においても、
消えてなくなるということは、ありませんでした。
メモリーを受け入れ、祝福し、消去していくことがホ・オポノポノですが、
人が人として生きていく以上、記憶がまったく無くなるということはありません。
まったくメモリーがない状態とは多分、「死を迎える」とかそういった
次の段階へ行く時だと思います。
(ですから、ヒュー・レン博士だってKR女史だって、
未だに毎瞬毎瞬クリーニングしているのですよね!)

ホ・オポノポノの世界観で、世の中を観て生き始めると、
メモリーは完全にはなくならないけれど、クリーニング以前のように、
無意識にメモリーにコントロールされてしまうということは減ってきます。
インスピレーションによってメモリーに気付くことが出来、
「わたし」のなかでクリアにする機会を与えられるのです。
そこにこそ、人間としての成長があります。
見つけたメモリーに対しては、

「あんた!まだそんな所にいたの!
 大嫌いよ、もう出て行ってちょうだい!」

という気持ちが湧いてきてしまうことも多々あるのですが、
それをもクリーニングして、

「ああ、まだ私のなかにこんな、人を見下すなんていうメモリーが残っていたんだね。
 気付かせてくれて有難う。
 あなたがそこにいるってことに、ずっと気付かなくて本当にごめんなさい。
 あなたなりに、肯定的意図があって、そこにいてくれたんだよね。
 私を守るために、長い間そこにいてくれたんだよね。
 辛い思いをさせてごめんね、ガンバっていてくれて有難う。
 もう大丈夫、手放していいんだよ。
 愛しているよ…。」

と、クリーニングをしていきます。
クリーニングとは、ウニヒピリ=インナーチャイルドを労ることでもあり、
それってつまり、自分の中での子育てですよね。
子どもに対してどうやって接していくか、育てていくかと考えた時、
自分のウニヒピリに対しても優しくなれる、優しく在りたいと思います。

さて、今回私に起きたことは、数年前なら相当な「がーん」というショックで、
数日は引きずるであろう出来事だったのでした。
でも今回は、ほんの短時間で自分のなかで対処することが出来、
すっと気持ちも軽くなることが出来、自分でも驚いたのです。
そしてこの驚きの体験を、とりあえず皆さんにシェアしたい、
と思いPCに向かいました。

人を見下すというプライドの高さに関しては、
まだまだ自分の中でのクリーニングが必要だと感じます。
それに今後また、何かのスイッチの加減でその記憶が再生される時も、
必ずあるでしょう。
でもそうしたら、早めに気付いて早めに対処してあげる。
今回よりも深く深く見ることが出来れば、もっと奥まで入ってクリーニングしてあげる。
それが私に出来る最善のことだと感じます。
そして、それで良いのだとも思います。

クリーニングとは、記憶を消去しゼロを目指すことが最終的な目標ですが、
本当にゼロになるということはとても困難なことで、
目標をぶれずにその方向を見定めつつ、至らない自分をありのままに受け入れながら、
慈しみ、愛し、そして努力を重ねていくことだと思います。

この道は、ちょっとしたイバラの道だなあって思うんですね。
ひとりSMのような・・・。笑
でも人間は、“痛気持ち良い”という感性に立った時に、
飛躍的な成長を遂げるのだとも思います。
たとえば一流のスポーツ選手の姿にも、その感性を見ることが出来ますよね^^
(昨日のサッカー日韓戦、すごかったですね!)

今日は、人を見下すというメモリーのパターンから波及して、
色々と考えてみました。
まだまだ問題の根本にまでは届いていませんが、
今日はここまでとします、機会があればまた書きます。

みなさんのクリーニングのお役に立てれば幸いです。
ありがとうございます☆
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Comments

先生はとても謙虚に真摯にオ・ポノポノを実行していらっしゃいますね。
共感したり、反省したりして読みました。

pommeさん

メッセージありがとうございます。


> 先生はとても謙虚に真摯にオ・ポノポノを実行していらっしゃいますね。

自分の中の嫌らしい部分もしっかり見ることが、
ホ・オポノポノではないかと思っています。
傲慢にもなるし、適当にもなってしまいますが、
より本当の自分に近づくために、日々クリーニングしています。


> 共感したり、反省したりして読みました。

ほんとですか、お役に立って嬉しいです。
ありがとうございました。

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