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O先生のクリーニング体験① ~境界性人格障害編~ 

では、O先生のクリーニング体験を御紹介しますね。
O先生は、外科系の女性医師です。
ご本人には了承を得ております、O先生心からありがとうございます。


(~引用ここから~)*********************************************************

私のクリーニング体験なんですが、まずは、精神科ローテの頃までさかのぼります。
精神科ローテが始まったばかりの頃、「世界一風変わりなセラピスト」を読んで、
ヒューレン博士のマネをして、担当患者さんのカルテを読みながら、
「愛しています」「ありがとう」を心の中で繰り返し言っていました。
その頃は、「自分自身に対して」言うというホ・オポノポノの一番大切なエッセンスは
知らなかったので、とにかくその患者さんとか神様みたいなものに向かって
唱えているイメージでした。
その頃、私の担当患者さんの中に、33歳の境界性人格障害の女性患者さんがいました。
担当した初期研修医は必ず罵倒されて攻撃されて1ヶ月のローテを終わるという
伝説の患者さんでした。
精神科の専攻医の先生も罵倒されて何人かチェンジになってきた方です。
主治医の部長先生にだけ心を開いているというか、依存しているというか、
そんな患者さんでした。
精神科の先生方は患者さんが依存しないように、どの患者さんに対しても
面談時間を決めて基本的にはその時間だけ患者さんに会うようにしておられました。
でも私は研修医で精神科の臨床のことは何も知らなかったので、とりあえず、
それまで回ってきた科でしてきたように、毎朝患者さんに会いに行って体調を聞こう、
と思って、その患者さんにも毎朝会いに行っていました。

1ヶ月の精神科ローテが終わる頃に、部長先生から「君は何をしたの?」と聞かれました。
部長先生との面談の中で、その患者さんが私のことを信頼していたことが
感じられたそうなのです。
1年くらい入院していたのに、「新しい仕事を見つけて働こうと思う」
と言うようになったらしいのです。
ローテ最終日にはその患者さんが、前もって外出して
私にプレゼントを用意してくれていました。
私への感謝の手紙も書いてくれていました。
それがいいことなのか、悪いことなのか、私にはわかりません。
境界性人格障害の患者さんは、人の好き嫌いが激しくて、
たまたま私を好きになってくれたから、そこまでしてくれたのかもしれません。
私もその患者さんの世界に取り込まれている(?)だけだったのかもしれません。
でも、単純に私はうれしくて、その患者さんの感謝のお手紙を読んで涙が出ました。

私がやったことは、ただ毎朝会いに行っただけ。
それと、カルテに向かって「愛しています」「ありがとう」を唱えまくっていただけです。
ただ、カルテを読みながら「愛しています」「ありがとう」を唱えていたら、
初めはこの患者さんに対してすごく恐怖感を感じていたのですが、
不思議と怖くなくなっていったのは確かです。
だから、何の偏見ももたずに、一人の患者さんとして向かい合えたことが
よかったのかもしれません。
でもその後は研修医としての忙しさのなかで、
「世界一風変わりなセラピスト」のことを忘れてしまっていました。

*********************************************************(~引用ここまで~)


私は精神科医として、境界性人格障害の患者さんを治療する立場にあります。
その現状や困難さを知っているからこそ、この体験談を読んで、
「ほぉ~・・・」と唸ってしまったのです。
O先生のこの体験は、クリーニング効果であると同時に、
治療者として非常に大切な立ち位置を示唆してくれていると思います。
それは、「評判(記憶)に左右されない」で「相手の本当の姿を診て」
「適切な援助を行う」ということです。

ここで私が感銘を受けたのは、O先生が書かれている
「初めはこの患者さんに対してすごく恐怖感を感じていたのですが、
 不思議と怖くなくなっていったのは確かです。
 だから、何の偏見ももたずに、一人の患者さんとして向かい合えたことが
 よかったのかもしれません。」
というところです!!
治療者として、理想的態度だと思いました。
精神科の治療のなかでは、治療者たちでさえ、偏見を持ってしまうことが
少なくないからです。

想像してみてくださいね。
他の担当医が次々と罵倒され、ものすごく前評判がある患者さん。
次に担当する立場としてその話を聞けば、まず構えてしまいますよね。
人によっては、ミスを犯さないように防衛的になったり、
逆に自分はうまくやってやろう、という見栄が働いたり、、、、。
とにかく、とてもじゃないけれど、ゼロの状態で相対するなんて困難になってしまうのです。

しかしO先生は、患者さんに対する先入観なく、また他の患者さんと差別することなく、
「ありがとう」「愛しています」と呼びかけ、毎朝顔を見に行き、体調を聞いた。
普通なことを、普通に出来ることのすごさ。
患者さんにとって、そのような体験はとてめ久し振りだったのかもしれません。そして、とても嬉しかったのではないでしょうか。

ゼロの状態にある相手を前にすると人は、コントロールも支配もする気持ちが湧きません。
お互いがリンクする記憶がないから、ゼロに何を掛けてもゼロになるように、
記憶が消されていくのだと思います。
そうすると、本当の自分の想いに気付くことが出来るのです。

この患者さんは、本心ではずっと働きたかったのかもしれません。
1年入院していたけれど、「社会に戻りたい」という本当の自分の気持ちに、
O先生と過ごす日々のなかで気付くことが出来たのではないか。
それはO先生が、ゼロであろうと日々クリーニングしていたからなのだと思います。
O先生は、患者さんを治そうとか、何とかして嫌われないでいようとか、
そんな想いは全然持っていなかったねではと感じます。
やっていたのは、ただ無心にクリーニングしていたこと。
この極めてシンプルなことが、極めて難しいのが現実です。

O先生のクリーニングを通じて、私は精神科医療に携わる者として、
理想の姿勢をみた気がしたのでした。

クリーニングするしないに限らず私は、研修医など若い先生方から、
「記憶に染まっていない姿」と接するなかで、
その在り方から学ばせてもらうことがとても多いと感じます。
これは医療だけではなく、他職種の方でも体験されているのではないでしょうか。
新人でなくとも「初心」や「無防備に必死になる姿」や
「計算なく理想を追い求める姿」など。
誰かに感じるピュアさと、そのピュアさに接することで体験する感情は、
クリーニングしてもらっている感覚と、近いかもしれませんね^^


  → O先生のクリーニング体験 その②へ続きます♪

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