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口蹄疫 

みなさん、こんばんは。

宮崎県に口蹄疫が蔓延し、食肉用の宮崎牛が感染の被害を受け、
日本全国に衝撃が走っていますね。
先日読者の方から、

「口蹄疫は何が問題なのでしょうか。
宮崎に対するクリーニングが必要ではないでしょうか?」

というメッセージを頂きました。
ありがとうございます。

     宮崎牛と口蹄疫

私は、最近ではあまり肉を食べる機会が少ないのと、
人生の中で宮崎県との接点が少ないので、正直、
ひとごとの様な感覚で日々ニュースを観てしまっていました。
これは分離の意識ですよね。

はっきりと原因は分からないし、結局のところ考えても分からないのですが、
私はこの問題、肉食に対する何らかの記憶の再生ではないかと感じます。

人間の食肉用に飼育されている動物が、
口蹄疫という病気にかかったり、感染予防のため殺処分されています。
「感染した牛がかわいそう…」という意識が出てきたのですが、
でも良く考えれば、牛たちにしてみれば「殺される」という事実は同じです。
私は詳細は分かりませんが、もしかしたら殺処分の方が、
食用として殺される時よりも、楽だったりするかもしれません。

ふと、「肉食をあまりしない私は進化している。
    だから口蹄疫で悩まされることはない
。」
という『傲慢』と『対岸の火事』の意識が、私のなかで再生されます。

ぎょっとしつつ、クリーニングをします。

私のなかの、「肉食を必要としないことは優れていることである」、という記憶の再生が、
この問題に関わっているのかもしれないと思いました。

みなさんは、いかがでしょうか?
ひとりひとりが、この問題に関して100%の責任を負っているとしたら、
あなたの何が、この問題とつながっていそうですか?

東国原知事に対して、宮崎県に対して、食肉用の牛に対して、
畜産に対して、どんな感情(という記憶)が再生されますか?

口蹄疫がなくなりますように…、と祈るのは素晴らしいことではありますが、
それは祈りであって、クリーニングではないかもしれません。

あなたの中を、探ってみてください。
そして、クリーニングをしていきましょう。

今日私は、この問題を自分の近くで考えたいと思い、
鹿児島産の牛肉を使用したコロッケを、夕食用に買いました。
すると、それまでは「関係ない」という意識が強かったけれど、
「得体の知れない感染症」が、身近に迫るような恐れを感じました。

このコロッケを、クリーニングして頂きました。
この記事を書くことと、コロッケを食べること。
それが、今日の私に出来る、口蹄疫に対するクリーニングです。

 ごめんなさい。
 ゆるしてください。
 ありがとう。
 愛しています。

コロッケを食べる前に、ローフードを意識して、
何気なく頂き物のパパイヤを食べたんですが、
食べながら、「あら、これ宮崎産だ」と気が付きました。

今日は、宮崎のクリーニングの日なんですね。

ありがとうございます。

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Comments

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同じように

対岸の火事、のように最初は考えていました。が、スーパー種牛の感染・殺処分というニュースを聞いて、現代の過剰に肉食に偏重した食生活に対する警鐘である、と強く感じました。

肉食牛の飼育や飼料の栽培に広大な森林がなくなっていること、牛にとっては口蹄疫での死も殺処分も食肉となるための屠殺も同じ死であること、、、

今回のニュース、そして自分が警鐘と感じたという事実、これらがどんな記憶の再生なのかはよく捉えきれていない自分がいますが、分からないままでもいいのがホ・オポノポノv-21 そのままクリーニングしました。

  • [2010/05/25 05:15]
  • URL |
  • さいころ
  • [ Edit ]
  • TOP ▲

口蹄疫のご質問を下さった、☆☆さんへ

このたびは、ご質問どうもありがとうございました。
お陰さまで、口蹄疫について考えを深めることが出来ました。
☆☆さんが仰るように、感謝の気持ち、とても大切ですよね。
どれだけ気付けるかなのだと、つくづく思います。

最初ご質問を頂いて、口蹄疫の話題が出た時には、
「私のブログで扱える事柄じゃないかも~…」と、
お恥ずかしながら、分離意識バリバリのメモリーが再生されてしまいました。

でも、広島のパワーで私も成長したのか、
より実践的に、クリーニングをすることが出来ました。


そして、この場をお借りして、みなさまへ。

今まで頂いた、すべてのコメント、非公開コメント、
またメッセージやご質問にお返事が出来ていない現状がありますが、
自分自身のクリーニングを大切にしながら、
過去のものも遡って、お返事していきたいと思っています。
みなさん、どうぞ宜しくお願い致します^^

ありがとうございます。
愛しています。

そして、あいらぶみー☆

さいころさんへ

さいころさーん
こんばんは、いつもありがとうございます。
ponyoです♪


> 対岸の火事、のように最初は考えていました。

私自身も、95%くらい、対岸の火事でした。
そして驚くのが、コメントを頂くまで、
「関係ない」と思っているその意識にすら気が付かなかったことです。

現代の過剰に肉食に偏重した食生活に対する警鐘である、
と感じられたのですね。
私も、同様の記憶を感じました。

ただそこで私は、「私は過剰に取るわけではないから、関係ない」と、
これまた分離バリバリの意識が出ました。
私の中に、どれだけの記憶があるんだろう?という感じですが、
生きている限り、永遠にクリーニングですね。。。


> 肉食牛の飼育や飼料の栽培に広大な森林がなくなっていること、
> 牛にとっては口蹄疫での死も殺処分も食肉となるための屠殺も同じ死であること、

本当ですね。
生肉からビタミンを摂取するような、
野菜が採れない土地に暮らしている人々も多い現在の地球環境において、
肉食が悪だというわけでは全然なくて、でもやはり、
このバランスはおかしいのではないか、不適切ではないか、ということを、
警鐘している出来事なのかもしれないと、私も思いました。

さまざまな問題が入り組んでいます。
一概に、何がどうこうとは言えません。
でも、そのような複雑な問題であればあるほど、
この問題を見聞きするひとりでも多くの人がクリーニングをすることで、
口蹄疫の問題が、適切な本来の姿となって、流れてゆくはずです。

せめて、とにかく、クリーニングを続けていきたいと思います。
「考えても、本当のところは分からない」ということを深い所では知りながら、
それでも「分かろう、見つめよう」としていくことが、
クリーニングにおいて大切な姿勢だと、私は思います。

また、複雑な問題と化している精神疾患についても、
クリーニングに取り組む際に、「分からないけれど、分かりたい」という思いで、
少しでも自分の記憶を消していけたら、
患者さんたちにも良い影響が出ると信じて、クリーニングな毎日です。

さいころさんとの出会いに、心から感謝しています。

コメントありがとうございました、
またお待ちしていますね。

  ponyo☆

初めまして

きくちゆみさんの「ぼくはうし」の記事のコメントを読んで来ました。

私も「ぼくはうし」の詩を転載しました。
その時に、私なりの今回の口蹄疫についての考えをちょっと書きましたので、良かったら御覧ください。(まだ途中ですが・・・)
http://blog.goo.ne.jp/tres-cerdidos/e/a8e7dc90d9d2b8238f559b0be63fff0b

hiromiさんへ

はじめまして!
コメントありがとうございました。
お返事がとても遅れてしまい、申し訳ありません。

私も、ゆみさんのコメントの時に、
hiromiさんのブログを拝見させて頂いていました^^
記事もその時に、読ませて頂きました。
hiromiさんは、イベリコ豚を扱っていらっしゃるのですね。

今回私は、口蹄疫や肉食について、改めてクリーニングするなかで、
色々な発見や気付きがありました。
しばらく、記憶の重さで体調が悪かったくらいです。

クリーニングは全然終わっていないのですが、
動物の肉を食べるという習慣が問題なのではなく、
私たちの「意識」とか、「バランス」とかなのだと
今は感じます。

これから、hiromiさんのブログを拝見させて頂きながら、
食事に関して考え続きていきたいと思いました。

こちらこそ、どうぞ宜しくお願い致します。
出会いに感謝します。


> きくちゆみさんの「ぼくはうし」の記事のコメントを読んで来ました。
>
> 私も「ぼくはうし」の詩を転載しました。
> その時に、私なりの今回の口蹄疫についての考えをちょっと書きましたので、良かったら御覧ください。(まだ途中ですが・・・)
> http://blog.goo.ne.jp/tres-cerdidos/e/a8e7dc90d9d2b8238f559b0be63fff0b

嬉しいです・・・

ぽにょさん、こんにちわ。

「動物の肉を食べるという習慣が問題なのではなく、
私たちの「意識」とか、「バランス」とかなのだと
今は感じます。」

私も、最近、そのように感じています。
昔から、「~してはいけない」というのが嫌いでした。

だから、菜食主義とか宗教的なことで、「お肉を食べてはいけない」というのがどうしても受け入れられなくて、お肉はあまり好きじゃないから、好んで食べはしないけれど・・・という感じでした。

それは、お魚もです。父が週末釣り師で、新鮮な魚を持ってかえってくるので、その魚を食べていたら、スーパーで売っている切り身の魚がどうしても食べれないのです。
もちろん、家を出てからは、仕方ないので食べたりもしましたが、お刺し身だけはどうしても駄目でした。。。

単に、新鮮な美味しいものを食べていたから、スーパーの物が食べれないのだとばかり思っていましたが、もしかしたら、違ったのではないか、最近思うようになりました。

恐らく、体が警告していたんじゃないかと思うんです。
動物の育てられ方、流通の仕方、そしてその過程に関る人達の意識・・・そういうものを敏感に感じ取っていたのかも知れない、と。。。

食べ物を物またはお金とみなしている、今の世の中に対して、なにか違和感を感じていたのかも・・・と。

有機栽培だ、菜食主義だ、自給自足だ、と自分自身が頑張って行動するわけではなく、消極的に危機感をかんじていたのかもしれません。。。

すみません、またなんか、取留め無いことを書いてしましました。
私自身、今、「食べる」ことや「生きる」こと「健康」「環境」などをいろいろな側面から学んでいる最中なので。。。

これからもよろしくお願いいたします。

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