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罪悪感の源 

昨日も書きましたが、私は罪悪感を感じやすいんです。
自責感とは違くて「罪悪感」。
原罪といいますか。

これって深いメモリーだなと感じます。
集合意識のなかの記憶のなかにある、罪悪感ではないかと感じているんです。
一時期は、肉食をすることに対する罪悪感もありました。

私は学生時代に、ずっとではないですがキリスト教系の学校を通ってきました。
今でも、信者ではありません。
そこに在学中、振り返るととっても居心地が良かったんです。
今まで味わったことのない安心感や、仲間意識を感じました。
学校で度々催される、ミサなどの宗教的な行事なども、
妙になじむんですね。
いま思うと不思議でした。

だから、「私はどこかで、キリスト教徒としての人生を通ってきた。」
そういう思いはずっとありました。
そう考えると、欲望に対して禁欲的な思想を持ち得るキリスト教のなかにおいて、
罪悪感を感じ続けてきたのかな~なんて。
…あくまで空想の話ですけれど!
そう思うとしっくりくるので、そういうことにしています。

精神科医である自分が、前世みたいなことを言うと、
色々と批判やお咎めなどあるとは承知していますが、
ここは私の責任で運営している個人的な場なので、
あえてこんなことも言ってみます。

昨日の記事のコメントで「罪なんてないですよ」と仰って頂いて、
本当だよな~と、改めて思ったんです。
コメントありがとうございました!
罪の意識って、人間が創りだしたものですよね。

じゃあ、なんのために…?

このクリーニングも、深いものですね。
私はこの「罪悪感」をクリーニングしたいのです。
罪悪感とセットで、「優越感」もあって、
こちらもクリーンにしてあげたいと思っています。

ちょっと、深くまで潜ってみます。
そして、発見があったらまた、報告しますね。

今日もありがとうございます。
今日もあなたを愛しています。

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