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謝りグセ 

みなさん、こんばんは。

私はつい最近、ある大切なことに気が付きました。
前日くらいからモヤモヤしていて、翌朝起きた時に「やっぱりそうだ!」と
妙に確信した事なんです。

これは私にとってはものすごい発見で、みなさんに早くお伝えしなければ思っていました。
ホ・オポノポノの根幹ともなる部分を私は、大きく勘違いしていたような気がしたのです。

さて、4つの言葉やクリーニングツールででクリーニングする、ホ・オポノポノ。
自分に対して行うことが、基本です。
今日は特に、4つの言葉について考えていきますが、
どれも言葉として素敵だし、人間として大切な要素だと思うので、
クリーニングを始めてから私は、日常会話のなかでも使うよう意識して過ごしてきたんです。
そんな中で私は、自分自身のメモリーに左右され、
大変間違った癖をつけてしまったのではないかと気が付いたのです。

それは、「謝りグセ」です。
誰かとの間に波風が立った時に、すぐさま「ごめんなさい」
と謝る癖を持っている自分を発見しました。
それで良いのだと、ずーっと思ってきました。

例えば、私とのやりとりの中で相手が怒ったり不快になったとしたら、
自分の表現に問題があったということだから、全力で謝るべきだと思って来たんです。
確かに、そういう時もあるかもしれませんし、
本心から謝りたい時はそれで問題ありません。

でも・・・本質は違いますよね。
人間がお互いの関係性のなかで衝突した場面で、本当に全てが全て、
私がごめんなさいと言えば済むことなのだろうか・・・と言う事に、
やっと疑問を感じるようになったのです。

これは、ある身近なトラブルから違和感を感じ始めたことがきっかけでした。
対人関係のトラブルがあって、私は相手をずいぶん怒らせてしまいました。
ただ、私にはその時全く悪意はなく、逆に、
相手が怒るのはおかしいんじゃない?と本心では思いました。
でもついつい謝りグセで、「ごめんなさい」と謝って、その場は収まりました。

しかし・・・、後になってもスッキリしないんです。
私は、愕然としました。
ホ・オポノポノしているのに、どうして??と思いました。
でも自分の気持ちを見つめた時、以下のようなことに気が付きました。

「ごめんという気持ちは確かにあるけれど、私の言い分だってある。
 それを相手に伝えなければ、相手も私の状況を理解できないのではないか。
 本当の相互理解には繋がらないのではないか。
 それより何より、ごめんと謝りながら、全然ごめんと思っていない自分がいるじゃないか。
 表面的に相手に謝ることって、相手に対して何て不誠実なんだろう。
 そして、自分自身に対しても、どれだけ不誠実なんだろう。
 何て自分を傷つける行為なんだろう・・・。」

そこでやっと、気が付いたんです。
すごく基本的なことでした。
ホ・オポノポノでは、相手にごめんなさいと言いましょうなんて、
誰も言っていません

あくまで全て、自分自身への働き掛けですから。

それなのに私は、相手にありがとう、ごめんなさい、許して下さいと伝えるとして、
いつの間にか理解してしまっているところがあって、
ついついヘコヘコと謝る癖を、自分のパターンとしてつけてしまっていたのでした。

どうしてこうなってしまったのか…?
じっくり、内観しました。
そうしたら、私のなかのウニヒピリが言いました。
・・・嫌われたくないから謝るの」と。
とても悲しくなりました。
ウニヒピリを虐げてきた自分を、心底悔みました。

トラブルが生じてストレスを感じた時に私は、自分のウニヒピリをケアする前に、
相手に平謝りしてその場を丸く収めるという方法をとり続けてきました。
これは、自分のウニヒピリを傷付ける行為でした。
相手にヘコヘコ謝っているその間、私はウニヒピリを完全に無視していたのです。
こうやってたくさん傷付けてきたのだと気が付きました。

このブログにおける今までのホ・オポノポノの説明の中で、
誤解された方がいらっしゃるかもしれませんし、
私と同じような癖が付いてしまっている方もいるかもしれませんので、
皆さんに、改めてお伝えしたいと思い、いま記事を書いています。

4つの言葉やクリーニングは、自分自身にまずして下さい。
まず自分をしっかりクリーニング。
自分が終わったなら、やっと相手です。
この順を間違えると、間違いなくウニヒピリを傷つけてしまいます。
それは、自分をないがしろにすることであり、自分を愛することと逆行する行為です。

そして、傷付けられたウニヒピリは自己卑下に陥ります。
ウニヒピリの誇りを汚すことになってしまうからです。
自己卑下に陥ったウニヒピリは、バランスをとるために、誰かを見下そうとします。

 関連記事 → 「人を見下すということ」
        → 「軽視」

潜在意識下での人を見下すという意識は、顕在意識上での言動として現れ、
平和を乱す行為に繋がることがあるでしょう。
しかしそれは、ウニヒピリにとっては陰陽の法則上、自然の流れです。
誰の責任でしょうか?
そう、「わたし」の顕在意識の選択の結果なのです。
つまり、私の責任です。

今回の出来事は、「がーん」と、頭を殴られたような体験でした。
でもいま気が付くことが出来て、本当に良かったです。
もしも、私と同じように誤解して理解している方がいらしたら、
ぜひ捉えなおす機会にしてみてください。
そして今まで、誤解を与えるような表現をしてきたであろう事を、
どうかお許しください。

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