スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

"ARIA″のご紹介 

今日は、以前に書いた("傷付く"ということ)、自分の制限に気付かせてくれた
セッションをして下さった、「藤井美弥さん」をご紹介します。

彼女に、オーラリーディングを受けたのが、2006年の秋
このセッションは、電気が走った体験でした。
私は当時、「オーラが全体的にぼんやりしていて、先が見えない感じ
・・・と、言われました。
全くその通りで、当時は何となく体調が悪く、しょっちゅう落ち込んでいたり。
悩みもいっぱい抱えていました。
心身ともに、非常に重苦しい感じだったんです

それが、藤井さんのセッションを受けて、開こうと決意してから。
この3年の間に、いろいろなことがありましたが、ホ・オポノポノとも出会え、
今私は本当に幸せを感じる毎日を送っています。

    ARIA 公式サイト

藤井さんの創るジュエリーブランド VINA AMUU も、とっても素敵です。
セッションは人気なので、予約が取りにくいかもしれませんが、
年に数回ジュエリーの個展やワークショップ、旅行ツアーなども行われているので、
ピンときた方は、どうぞARIAまで。。。
本当の自分」に気が付くヒントが、きっと得られると思います!

  藤井 美弥さん  美弥さん・ラブ

私の大好きな女性です
自然体で、落ち着いていて、キュートでいてクール。
(確かもう)大学生の息子さんの、お母さまでもあります。
とても優しいけれど、耳ざわりの良い"甘いこと"だけを言ってくれるわけではない。
時々、痛いほどストレートで厳しいことも言って下さるんです。
そんなところも又、「自然体」を体現したようで、
心から尊敬している、私を導いてくれた方の一人です

美弥さん、ありがとうございました。
これからも、どうぞ宜しくお願いします
 

スポンサーサイト

祖母の旅立ち 

  カサブランカ

祖母が、亡くなりました。
身体が弱かった祖母でしたが、90目前まで人生を生ききる、大往生でした。
静かで穏やかな、彼女らしい旅立ちを見送ってきました。

  道に咲く花

祖母の死を通して感じたことを、お伝えしますね。

大正、昭和、平成と生きた祖母。
健康な体と十分な食事があれば幸せだと、
彼女の時代の日本人は、必死に生き抜いてきました。
私がいまこうして平和な社会に生きていられるのは、
祖母の世代の苦労があったからです。

  オニユリ

祖母の時代。
戦争があり、眩暈がするほどの悲しみのメモリーを、人間自身が生み出しました。
過ちを繰り返さないように・・・という、願いと祈り。

そして、後悔と血のにじむような人々の努力の結果、課題や問題はあるものの、
現在の平和で豊かな日本の生活が成り立っている。
過去の悲しみが、今の私たちの生活を支え、繋いでくれているのです。

・・・人は、物質が満たされていったときに初めて、
内側の豊かさへと向かうことが出来るのかもしれません。
祖母の時代にホ・オポノポノを伝えてもきっと、今の時代ほど
多くの人の心まで届かないのでは、と思うのです。

いま私が好きな仕事をし、内面の豊さへとアクセスできる時代に生きているからこそ、
心の穏やかさを携えて日々過ごせている。
そのことを、心から有難く思いました。

  地球は丸い

  『 命のバトン 』  相田 みつを

父と母で二人
父と母の両親で四人
そのまた両親で八人
こうして数えてゆくと十代前で千二十四人
ニ十代前では・・・・・・・?
何と百万人を超すんです
過去無量の命のバトンを受けついで
いまここに
自分の番を生きている
それがあなたの命です
それがわたしの命です

  曾孫

 お祖母ちゃん
 たくさんの優しさと楽しい思い出を
 ありがとう

 お祖母ちゃん
 お母さんを生んでくれて
 ありがとう

 お祖母ちゃん
 私にいのちを繋いでくれて
 本当にありがとうございました

 私も自分のいのち、ちゃんと、生ききるからね
 見守っていてね

 また、会える日まで

  お花

賢者が教えてくれたこと 

お風呂上がりに髪を乾かしていたら、
インスピレーションが降りてきた。。。
色んな画像が、つながっていく。

・・・高校生のとき、テレビでビートたけしが
「悪いことがあっても、その分いいこともある。
人生は結局、プラスマイナスゼロになるようになってる」
みたいなコメントを言ってた。
「そうなのかあ…いいことだけじゃないんだ、
ふうん、残念」と、感じた。
プラスとマイナス、正と負で、ゼロ。

・・・研修医時代。
内科。
脳腫瘍の末期で四肢の筋力が低下していくなか、毎朝5時に起きて、
筋力をつけるために、ベッドで運動をしている患者さんがいた。
「彼のベッドサイドに行くのは、つらい」
チームの先生たちは言っていた。

「私とは直接関係ないこと。
だって癌の原因は分からないから、誰も悪くない。
彼が彼であることに変わりない。
私はただ傍にいたいし、いれる。
それだけでいい気がする。」

そう、感じていた。
隣にいても、なぜか辛くなかった。
末期のがん患者さんと接する中で、このようなことが続いた。

・・・私は、他の人とどこか感性が違うみたい。
私には、こういう仕事が向いているのかな。
精神腫瘍学に興味をもち、精神科医をはっきりと志す。

すごく、冷たい人間だったのかな。
・・・違う。
私なりに、患者さんの役に立ちたいと思っていた。
ただ、まだ感じられなかっただけ。
私のなかの、どこかのスイッチがオフになっていて、
まだスイッチが眠っていて、麻痺していたんだと思う。

チームの他の先生方は、本当に温かい先生たちで
今でも毎年、年賀状をくれる。
いろんなことを経て、ホ・オポノポノを知って、
勘違いしていたことが、いまやっとわかるんだ。

・・・小児科。
どの科よりも、重かった。
仕事量の問題ではなく、空気が重くて苦しかった。
短期間で、多くの子が亡くなった。
私が研修をまわっていた期間、亡くなる子がとても多くて、
「病棟のお祓いが必要だ」と言う話が出ていた。

生まれた瞬間から、呼吸器がなくては生きていけない子。
3歳で白血病でなくなる子。
子どもの病気を介して、ぎくしゃくする家族。
逆に、団結する家族。
すべてが重く、すべてが美しかった。
子供は、病気に対して諦めるということがないから。
一生懸命、生きようとする。
そしてすべて、私たち医療者と家族に、
全てを委ねている。
そこには、他人を信頼して完全に委ね切っている、
100%生きていきたい、「いのち」がある。

亡くなる前、意識がなくなる寸前の、ほんのわずかな穏やかな時間に
3歳の男の子が、つきっきりだった母親に言った。
 「ママ、去年の写真がみたいよ」、って。
病棟スタッフと御家族と彼で、夜中にみんなで、彼のアルバムを見た。
みんな、涙を流しながら笑顔。
一番穏やかだったのは、彼だった。
3歳なのに、全部わかっていたんだと思う。
そろそろ帰るってことを。

私はひとりになりたくなって、
真っ暗なカンファレンスルームに行った。
メソメソ泣いたら彼に恥ずかしいと思って、空を見上げて泣いたなあ。
それからまたベッドサイドに戻り、とても柔らかな、
ちいさな命をみつめる優しい空気の中に戻りました。

彼は、2歳で白血病になり、3歳でこの世を去った。
最期の時は、賢者のようでした。
魂そのもので、輝いているみたいだった。

抗がん剤で髪の毛は抜け落ち、色素沈着で肌の色は黒ずんでいた。
でも、私の記憶のなかでいま彼は、
優しいおじいさんのような穏やかな表情。

私は小児科を回ったこの時期、強く思う。
「魂は公平だと感覚的に思うけど、一生というスパンの話じゃないんじゃないか」、と。

だってここに、こんなにも不公平な形の「いのち」が存在しているから。
この命と私のいのち、どこが公平っていえるの??
どういう仕組みなわけ?!

あのときの感情は、今思うと怒りだった。
たぶん、不公平すぎるという、怒り。

この時期私たちのチームは、急変に備えて病院に泊まることが多かった。
そんな時、さすがに大変になってきて「帰りたいなあ」と思う。
でも、彼が小さな体で一生懸命生きているベッドサイドにいくと、
そんな風に思った自分が情けなくなって、
ごめんね、ゆるしてね。
確かに、そう思っていました。

このころから、人間の生死や、魂や、霊性などについて
さらに深く考えるようになっていった。

彼が穏やかに息を引き取った朝、「ありがとう」と思いました。
一生懸命いのちを最後まで生き切った彼に、そういう姿を見せてくれて
本当にありがとう、大きな感謝の気持ちでした。
そして、彼に恥じないように生きていきたいと思いました。


・・・もうだいぶ前の体験なのに、当時の風景を思い出すと、
感覚が言語となり、鮮明に蘇ってきます。

彼がくれたあの時間は、とても短かったけれど、
私にとって、すごく大切な経験でした。
いま時空を超えて彼と、つながった気がしました。

彼の生きざまが、今これを読んで下さっているあなたの心に届いたとしたら、
私は、彼とあなたを繋ぐことが出来たのかもしれません。
彼が見せてくれて、私のなかに残してくれたものを
誰かに伝えられるとしたら、とても嬉しいです。

そして彼に伝えたいです。

私はあなたのおかげで、「いのち」について深く勉強することが出来ました。
あなたのいのちを、私もちゃんと繋いでいるんだよ。

本当に本当に、ありがとう、と。


読んでくださって、ありがとうございました。
あなたと私を繋いでくれた全てに、感謝を捧げます

ぜひぜひ! 



どうぞ、じっくりと味わって下さい

大きな優しさ、深い責任感、自由で聡明なまなざし。

通訳の森田玄さんも、とびきり素晴らしいのです。

この続きが観たい方は、グリーンフォトンさんまでどうぞ!
 http://d.hatena.ne.jp/sakura2sun/

私は、船井メディアさんの2枚も合わせて、DVD4枚持ってます♪

神谷美恵子先生 

「神谷美恵子」という精神科医をご存じでしょうか?
精神科医であれば、ほとんどの人が知っている著名人です。
彼女の数多くの著作のなかで「生きがいについて(みすず書房)」から、
一部抜粋させて頂きます。      

生きがいについて (神谷美恵子コレクション)生きがいについて (神谷美恵子コレクション)
(2004/10/06)
神谷 美恵子

商品詳細を見る

『・・・著者は津田英学塾在学中にキリスト教の伝道者であった叔父に誘われて
多磨全生園を訪れ、はじめてハンセン病の存在を知った。
同じ世に生をうけて、このような病に苦しまなくてはならない人びとがあるとは、
いったいどういうことなのか。
心の深いところで自分の存在がゆさぶられるような衝撃を受けた著者は、
できることなら看護師か医師になってこの人たちのために働きたいと願った。
そして周囲の反対にも辛抱づよく時を待ち、ようやく医学部に進学を許された。
その女子医専時代の夏休みに、長島愛生園をたずねて
「なぜ私たちでなく、あなたが?あなたが代わって下さったのだ」
と詩に書いている。
現実生活の荒波や自身の病を乗り越えてその初志を貫いた著者は、
終生を実践活動にささげた。
ハンセン病であるだけでなく精神をも病む人びとにとって、
著者のあたたかさと知性と努力が、どれほど支えになったことであろうか・・・』

「なぜ私たちでなく、あなたが?あなたが代わって下さったのだ」。
初めてこの本を読んだのは高校生のときだったのですが、
何て清らかな人がいるんだろう、私からこんな発想は逆立ちしても出てこない・・・
と、心底驚いた感覚を今でも覚えています。

昨夜寝る前に、ホ・オポノポノの考え方が神谷先生の感性と似ていることに、
気が付きました。

神谷先生は「精神科医として生きることは私の生きがい」と、書を終えています。
彼女は本当に素晴らしい精神性と知性を持っていた方で、
ご自身でホ・オポノポノと似たプロセスを行いながら患者さん方と向き合い、
光を照らし続けた方だったのだと、違う面から神谷先生を知ることが出来た気がしました。
こんなに聡明で素晴らしい女性が、日本にはいたのです
日本人の誇りですね。

神谷先生が生きていた時代よりもずっと物質的には豊かになった現代日本に生きる、
こういう感性を引き継ぐ(!)私たち。
素質はバッチリのはずです。
みなで「ゼロ」に近づいていきたいものですね。

私自身も日々、精いっぱいこころの掃除を続けようと改めて思いました。

神谷先生、ありがとうございました・・・

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。