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みんなちがって みんないい 

みなさん、こんばんは。

私は職業柄というのもあるかと思いますが、つい論理的に考えたり
思考で分析したり、説明的という傾向があり、
ウニヒピリとの繋がりという意味では、まだまだ課題が大きいなと感じています。
またここでは、ホ・オポノポノ以外の話題や、
私からのメッセージなども含まるため、
「ホ・オポノポノブログ」でありつつも「ぽにょブログ」的になっていて、
純粋なるクリーニング表現とは、内容や表現が遠くなることもあります。

しかし「自分がやるべきこと」としてインスピレーションを感じながら書いている
という意味では、ホ・オポノポノブログなんですよね。
私にとっての「ほんとうの私」は唯一無二の存在であり、
と同時に皆さん一人ひとりにとっての「ほんとうの私」もまた、
かけがえのない唯一無二の存在です。

優劣とか、ジャッジとか、勝ち負けとかって、ほんとないんですよね。
皆に共通していることがあるとしたら、クリーニングによって
「ほんとうの自分自身」の姿に還り、自分の役割(自分で意図してきた)
を果たすこと、シンプルにそれだけなんだと思います。

ふと、「みんなちがって、みんないい」。
この言葉が浮かびました。
どなたのお言葉だったかなと検索してみたら、
金子みすゞさんの「私と小鳥と鈴と」という詩の中のフレーズでした。

  詩人 金子 みすずさん
  (金子みすゞは、大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した童謡詩人。
  今回記事を書くにあたって調べたら、彼女の最期が自殺であることを知りました。
  しかしその選択には、色々な思いがあったことが伺え、
  当時の女性が置かれていた立場を想い、とても切なくなりました。)


クリーニングを通して自分自身を見つめて表現していくことが、
それぞれの方にとっての、ホ・オポノポノブログになるのかもしれません。
それは、「世界にひとつだけの花を咲かせる」ことと、同じですよね。

「ブログを書く」という、現代では“当たり前”と思えることひとつを考えてみても、
地球上では現在でも、中東諸国やお隣の中国や北朝鮮など、
言論統制されている国がたくさんあります。
それに日本でも、金子みすゞが生きていた時代に女性が自由に表現するということが
どんなに大変だったかを推し量ってみても、「あたりまえ」と思ってはいけない。
ということを強く感じました。
 
  関連記事 → 「あたりまえ」

私たちはいま、自由に表現することが許される時代と国に生きている。
それだけで、なんて幸せなことなんでしょうか。

日本中そして世界中に、「ホ・オポノポノブログ」が広まることを願いながら、
今日も私は表現を続けます。

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モリのアサガオ 

みなさん、こんにちは!
最近は、ブログ更新頻度が減っていますが、
私は元気に過ごしています^^

さて、ごく最近気付いた、私のメモリーについて、
今日は漫画を題材にして考えてみようと思います。

最近、旦那さんが買ってきた「モリのアサガオ」を読みました。
いま、ドラマ化されて放映中ですよね。
モリとは拘置所のことで、アサガオとは、モリである拘置所のなかで
死刑を待つ死刑囚のことです。
ドラマは観ていないのですが、漫画7巻は全部読みました。
非常に考えさせられる、社会派漫画でした。

   

モリのアサガオ―新人刑務官と或る死刑囚の物語 (1) (ACTION COMICS)モリのアサガオ―新人刑務官と或る死刑囚の物語 (1) (ACTION COMICS)
(2004/12/06)
郷田 マモラ

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それ以外にも色々思うところがあって、
今日は自分に対して、ちょっと厳しい視点に立ってみますね。

まず、誰もが多かれ少なかれ抱えているであろう「自分が良ければそれでいい
という感覚について。。。
(これはもちろん、私のなかにある記憶についてです。)

漫画の中では、色々な死刑囚の人間模様が描かれているのですが、
死刑が確定した凶悪犯であっても、実は冤罪であったり、
大切な誰かを守るために罪をかぶっていたり、理不尽な殺人の被害者家族が
犯人に仇討ちをとってその結果 死刑囚になったりと、
“死刑囚である人間”に寄り添えば寄り添うほど、
さまざまな人間模様が見えてくるんですね。

「自分が良ければそれでいい」「他人のことはどうでもいい」という感覚は、
裏を返せば「自分を守りたい」という肯定的意図と繋がるかもしれず、
“自分を愛することが大切”と唱えるホ・オポノポノの考え方と重なるように
見えるかもしれません。
しかし、ホ・オポノポノは「他人を犠牲にしても良い」
とは絶っ対に言っていないと思うんですね。

すごく極端な例ですが、たとえ話を提示します。

訳あって私が犯罪を犯したとします。
犯罪を犯した背景には、私なりの肯定的意図がありました。
しかし、社会的に犯罪はやはり許せないルール違反です。

そして、間違って他の人が逮捕されてしまうとします。
ここで、自分が本当の犯人だと言って名乗りでなかったら、
無実の人が罰を受けてしまうことになります。
私は罪の意識と、犯人だと名乗り出ることへの恐怖から、
自分のなかに湧き出る恐ろしい気持ちに対して、

 「罪を犯して、ごめんなさい
 「あの時は、○○という理由で仕方がなかったのです」
 「私が犯人だと名乗りでないことを、許して下さい
 「私のかわりに罪をかぶって下さって、ありがとう
 「代わりに罪をかぶってくれているあなたを、愛しています

・・・と自分に言えば、多少気持ちが楽になりました。
私はクリーニングを続けていました・・・。

これって、どう思いますか?
絶対に違いますよね。

過去の出来事であって、今となっては相手とも会えずに取り返しがつかないのならば、
ホ・オポノポノは大きな効果を示すかもしれません。
実際に、モリのなかのアサガオ達の何人かが、
自分自身が犯した罪について長い年月を振り返るなかで、
罪の意識に芽生え、本当の意味で改心する姿が描かれていました。
1過去の犯罪に対して100%の責任を自覚するようになった死刑囚は、
謝罪の気持ちから、毎日祈ったり、写経をしたり、
被害者の姿と重ね合わせて仏像の切り絵を作ったり…。
その姿はまさに、ホ・オポノポノを体現しているようだと感じました。

でも、たとえ話のように、いま目の前に記憶を修正出来るチャンスがあるならば、
4つの言葉を自分の潜在意識に伝えながらも、行動し、声に出し、
実際にコミュニケーションをとって、理解し合うべきだと思います。
つまり、自分がやったことは、自分がやりましたの名乗り出るべきです。

それにこの例の場合、「100%の責任」を果たしていないことで、
まずクリーニングとは言えないのです。
辛い気持ちに対して、ホ・オポノポノの言葉はとても有効ですが、
前提をクリアしていなければ、やっぱり本当の意味では効果がないと思いますし、
ただの自己満足になってしまいます。
それでは、逆効果とも言えるかもしれないのです。

今日は、ちょっと極端な例になってしまいましたね。
しかし、ホ・オポノポノを「4つの言葉を大切にする」ということだけで理解するのでは、
本当の理解には至っていないということ、逆に記憶を塗り重ねることになるかもしれない
という危険性を深く理解したいし、皆さんにももっと伝えていきたいということを、
記事を書きながら改めて感じました。

「100%の責任」=「私がすべて対処出来るということ」を、
もっとしっかりと、噛みしめていきたい。
そして、自分だけが良ければいい、という気持ちを消したい。
広い視野を持って、社会と関わっていきたい。
そう思う、今日この頃です。

今日はお天気も良く、お出かけ日和の日曜日ですね。
みなさんに素敵な時間が流れますように!

今日も読んで頂いて、ありがとうございました^^

死刑執行 

先日、東京拘置所で二名の死刑執行があったというニュースを観ました。
そして驚いたことに、千葉法務大臣がその場に立ち会ったそうですね。
なお大臣が死刑に立ち会うのは異例のことで、日本では初めてなんだそうです。

もともと千葉大臣は死刑に反対の立場だったそうで、
この一年間は執行されていなかったそうです。
しかし、色々な関係性のなかで今日大臣はそのような判断を下しました。

記者会見では、死刑執行を報告するとともに、
今後 法務省に「死刑制度のありかたを検討する勉強会」を設立し、
報道陣に拘置所の死刑執行の場を公開するという予定もあるそうです。

大臣の表情を見ながら私は、自身の意見を主張しつつも大臣として命を下し、
またその責任を果たすために実際にその現場に立ち会ったのは、
ものすごい事だという感じがしました。

そして、実際に見て確認するという体験を踏まえて、
もう一度、皆で考えていこうと呼びかける大臣のリーダーシップに、
尊敬の念を覚えました。

非常に難しい課題を含んでいる大きな社会問題ですが、
私も自分の問題として考えていきたいと思いました。

 ごめんなさい。
 ゆるしてください。
 ありがとう。
 愛しています。

赤い糸を紡ぐ 

みなさん、こんにちは。
今日からもう8月、早いですね!

今日は、旦那さんのご両親が上京されていたので、
一緒に銀座でランチをしてきました。
結婚式の写真を現像して渡したりしながら、ハワイ話で盛り上がり。
ご両親は初ハワイだったのですが、すっかり虜になった模様で、
みなで「また行きたいねー」と話に花が咲きました。

結婚すると親戚づきあいが大変、という方もいると思います。
でも私の場合は、今後詳しくお話していきたいと思っていますが、
数年前に父を病気で亡くしました。
そしてちょうど一年前、祖母も亡くなりました。

 ( 関連記事 → 「祖母の死」 「女性の叫び」 )

そんな訳で、ここ数年で家族がどんどん減って寂しい思いをしていた私は、
結婚して新しい家族が一気に増えたことがとても賑やかで嬉しく、
家族の温かさを改めて感じているんですよ^^
旦那さんの家族はみな、とても優しく穏やかで寛容です。

家族とは、社会における最小単位の共同体。
そして、深い深いご縁のある、大切なクリーニングパートナーたちでもあります。
家族の間を平和に大切にクリーニングしていくことが、
社会に対する貢献になると思うのです。
これからは、このご家族の名字を名乗りクリーニングしていくんだ…と
とても感慨深く思いつつ、美味しいランチをゆっくり2時間かけて頂いてきました。
(満腹になりました、美味しかった~。)

この広い都会で、本当にバッタリと旦那さんと遭遇し、
最初は細かったかもしれないご縁という「赤い糸」を、切れないように大切に大切にしながら、
「家族」という強い絆
にまで紡ぎ上げてきたこの一年でした。

誰にでも縁という赤い糸はたくさんあって、お付き合いする人とはもう完全に
赤い糸で結ばれているのだと思うのですが、
お互いの心がけ次第で太い絆に育てていける一方、

 ウニヒピリの傷付きのケアを相手に求め過ぎてしまったり、
 自分のエゴで相手を変えようとコントロールしたりしていると、

せっかくのご縁の赤い糸が、変な風にどんどんどんどん絡んでしまって、
にっちもさっちもいかなくなって、自分らが壊れてしまう前に
断ち切るしかなくなってしまう…。
そういう恋愛って、たくさんあると思います。
せっかくの赤い糸を、どれだけ互いが大切に紡げるかが重要なんだなぁ…と
最近そう感じます。

今日も、読んで頂いてありがとうございます。
みなさんに、素敵な夏の日々が訪れますように。
いよいよ8月で夏本番ですが、張り切ってクリーニングしていきましょうね☆

 ホテルからの眺め
  ハワイの空気は、素晴らしくさわやかでした。左奥に見えるのはそう、ダイヤモンドヘッド!

『スピリチュアル』から見えてくるもの 

みなさん、こんばんは!
以前に書きかけの記事を、手直ししてアップしますね☆

****************

私は、特定の宗教を信仰しているわけではなく、
ごく標準的な日本人の感覚を持っていると思っています。

スピリチュアル的に私は、自分なりの探求の末 5年くらい前から、
人間が生きる意味は 「霊的成長をするためである
という感覚に、揺るぎがないんですね。

それは表現を変えれば、悟りを得るためとか
目覚めを体験するためとか、光に近付くためとか、
愛へと帰還するためとか色々あると思いますが、
個人的好みとしては、「霊的成長」が気に入っています。

世界保健機構(WHO)は言っています。

 “人間は、精神的、社会的、肉体的、そして霊的に
  健全な生活を送る権利を有している” と。

この言葉を初めて聞いたのは中学校の授業でしたが、
「霊的」という言葉にすごく惹かれて、印象深かったんです。
その頃から、精神科医になるという魂の決意を
思い出していたのかもしれませんね。

ヒュー・レン博士はセルフアイデンティティー・スルー・ホオポノポノを、
20年ほど前から、WHO、世界平和協議会など、
国際的平和団体にて講演を行ってきたそうです。
今では当たり前となったスピリチュアルが、国際機関では
当時から注目されていたわけです。

今やスピリチュアルは「ある意味」一般的になりつつありますが、
もともと「霊能者」と呼ばれる方たちは、沖縄のユタや青森のイタコなどを含め、
日本各地、また世界各地に存在していました。
なのに今の時期になってこれだけ一般化してきたのは、マスコミに登場した、
一部の能力者の方たちの影響だけではない、と思うんです。

「私自身も含めて、なぜこんなにホ・オポノポノが浸透しているのかな?」
と考えてみると、これは、私たち側の変化ではないかと思うんですね。

色々な過程を経て現在、宗教的な修行をする一部の宗教家ではなく、一般市民が、
霊的に、スピリチュアルに生きる」ということについて、
真剣に考えるようになってきたという変化、です。

人間のまんなかの、宇宙の叡智が脈々と横たわっている「」の存在に
気付き始めたのではないかと思います。

私は高校生頃からスピリチュアリティに興味を持っていましたが、
こんなに明確に、ブログでメッセージを発信出来るようになってきたのは、
私自身の変化(=成長)なのだと感じています。
そしてこれは、私個人というより、「私のなかの叡智」がなせる技だとも思います。
私のなかの叡智とは、すなわち あなたの叡智でもあり、
すべてが繋がっている、その源からのリソースです。

このような私たちの変化は、宇宙からのサポートや、地球という惑星が迎えつつある、
「新しい時代への幕開け」を、まさに示しているのかもしれません。

日本人に関していえば、物質的な豊かさを十分に味わった後に、
バブル崩壊以降に続く社会不安の時代を生きていくなか、
何を信じたら良いのか?何が本物なのか?を、
常に模索してきました。

そしていま、外側(=お金、名誉、地位、物質…)に、
ひたすら求めていた段階から一歩抜けて、

 「あぁ、私のなかに全てがあったんだ…」

と、内側にある本当の大きな宝ものに、
みなが気付き始めたのかもしれませんね。

 すべての豊かさは、自分のなかにある。
 すべての答えは、自分のなかにある。
 自分の記憶の再生が、自分の世界に反映されている。
 まず自分を愛することが、大切である。
 自分とは何者かを知ることはすなわち、宇宙を知ることである。

…と。

私は、ホ・オポノポノなどを通して、みなさんの気付きのきっかけや、
インスピレーションになったり、新たな行動を起こす勇気を、
お届け出来たら嬉しいなと思います^^

それは、私自身が望んでいることで、
この人生を生きる中で、自分で設定したことだとも感じています。

 たくさんの宝物が、「いま」「貴方と」「共に」あります。

****************

今日は、すっかり長くなってしまいました。

読んで下さって、ありがとうございます。
今日もあなたを愛しています♪

(今夜は ワールドカップサッカー、観戦予定です!)

お知らせ 

「畜産農家で起きていること」の記事は、
一旦、非公開にすることにしました。

これは、私自身のクリーニングがまだ不十分であり、
とても複雑で大きな「問題」であるため、
またじっくりと考え、クリーニングを行ってから、
お伝えするべき問題だと判断したからです。

そして、また書ける時が来たら、
ここでお伝えしていきたいと思っています。
御気分を害された方、申し訳ありませんでした。
心からお詫び申し上げます。

これからも、クリーニングを続けていきます。
ありがとうございました。

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